兵庫大仏
1891年(明治24年)に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された。この大仏は1944年(昭和19年)5月に金属類回収令で解体されて国に供出されるまで日本三大大仏の一つに数えられた[1]。 現在の大仏は1991年(平成3年)に再建されたものであるが、その材料には戦後になって解体された大仏を発見した当時の住職が回収保管し、再建時にその金属片を混入したものを使用している。毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると高さ18mになる巨大な坐像である。1991年5月の開眼法要には、奈良市の東大寺管長、鎌倉市の高徳院貫主が臨席した。(wikipediaより)生まれも育ちも神戸という人でも知らないとか言う兵庫大仏。その存在を知ってはいても「見たことない」「どこにあるん?」と言う人も多い。奈良の大仏、鎌倉の大仏とともに、日本三大大仏のひとつなのに。 そんな不憫な兵庫大仏があるのは、JR兵庫駅から南へ15分ほど歩いたところにある天台宗の仏教寺院「能福寺」。 現存するのは戦時に供出のため解体された初代の金属を混ぜ込んで作られたという青銅製で二代目にあたる。記録写真で見る初代が平べったい頭でっかちのプロポーションだったのにくらべて、二代目はシュッとして、厳しくも優しくも見てとれるなかなかのご尊顔。 境内には、清盛の墓所とされる「平相国廟」や歴代天皇が参拝したといわれる「月輪影殿」、幕末に開港にともなって頻発した紛争「神戸事件」で切腹した滝善三郎正信の慰霊碑などがあり、兵庫大仏のほかにも見どころがいろいろ。 また、もう少し南に向かうと、平家滅亡の100年後に、その栄枯盛衰を哀れんだ北条貞時が建立したという石碑・清盛塚が、敦盛像、琵琶塚とならんでひっそりと侘びしく存在。 神戸市ではいま、市役所の移転やアリーナ建設で三ノ宮南の海岸エリアの開発が進行していますが、清盛の時代から幕末まで、西日本の海上交通や政の拠点として栄えた兵庫津あたりをそぞろ歩いて歴史に思いを馳せてみるのも一興です。 余談。新長田のシンボル、鉄人28号の身長も18m。この兵庫大仏にあわせて作られたのではないか、という説もあります。